小説には書けないあれこれ

小説家・山本 蓮華のブログです。触れた作品や文学・小説・音楽・アートなどについて考えたあれこれを書いていきます。

クリムトと聖なる太陽、或いはその黄昏

 

クリムト展 ウィーンと日本 1900

クリムト展 ウィーンと日本 1900

「クリムト展 ウィーンと日本 1900」で購入したカタログを見返していた。表紙は、旧約聖書外典に登場する未亡人ユディトを描いた作品だ。女は左脇に将軍ホロフェウスの生首を抱えている。これは自分の故郷にアッシリアの軍隊が攻めてきた際に、一人で敵本陣に乗り込んで相手の将軍を誘惑し、閨でその首を斬り落として持ち帰ったという伝説を描いたものである。 

ユディトを主題にした絵画自体はクリムト以前にも数多くあったが、そこではユディトは英傑として勇ましい女性のイメージであり、殺害のための剣を持っているのが通例となっていた。対して、クリムトが描いたユディトは首を持ち帰った事後の絵であり、切り落とした直後であるためか恍惚としていて、胸をはだけた女と殺害とが官能で結びついている。 

 

黄金=死の予兆、黄色=死の警告

私が最初にこの絵を観た時に思ったことは、ここに感じられる死の予感が、ほとんど金の装飾から湧いてきているのではないかということだった。連想したのは古代エジプトで死者とともに埋葬された装飾品や壁画のことだった。それらは黄土色をしている。砂漠の色であり、ピラミッドの色であり、土砂の色であり、太陽の色である。

ツタンカーメン埋葬室 北壁

ツタンカーメン埋葬室 北壁
出典: https://www.nationalgeographic.com.es/

古代エジプトの死生観では、死んでからが本当の世界のはじまりであり、そこでの生活で必要となる装飾品を死者に持たせて棺に入れる。墓は朽ちないように石造りで、口癖のように「太陽のごとく永遠に」という言葉を墓所の中に刻んだという。

だが、彼らは滅び、誰もいなくなった。墓と太陽だけが残った。昇り続ける太陽は逆に、いつか必ず終わりが来るということを私たちに思い知らせさえする。

 

死の色とは黄色なのではないか、というのが、そこで私を捉えた考えだった。必ずしも黄金それ自体である必要はない。聖なるものとしては金色、俗なるものとしては黄色。

 

中世ヨーロッパの世界において黄色は、ユダ=裏切りや危険を意味していたという。絵画ではユダを描く場合には黄色の服を着せられることが多く、スペインでは囚人服には黄色が使われ、フランスでは罪人の家には黄色が塗られたという。近代でもナチス・ドイツが迫害したユダヤ人につけさせたのも黄色の印だった。

ユダの接吻 - ジョット・ディ・ボンドーネ

ユダの接吻 - ジョット・ディ・ボンドーネ 出典: https://ja.wikipedia.org

黄色はキリストの死を連想させるのだ。日本人である私には馴染みのない観念ではあるが、黄色が選ばれてきたというその直感は重要であるように思える。

 

それは本能に根ざしている。実際に、黄色は黒との組み合わせで生物を警戒させる。警告色と呼ばれる。スズメバチはその黄色と黒の縞模様で、自分に近づくなと警告している。キオビヤドクガエルは20マイクログラムで大人の人間を死に至らしめる猛毒を持つが、その風貌は危険であることの直接的な表現になっている。

キオビクロスズメバチ

キオビクロスズメバチ 出典: https://ja.wikipedia.org

キオビヤドクガエル

キオビヤドクガエル 出典: https://ja.wikipedia.org

 

日本で黄色といえば、日本語に「黄泉」という言葉がある。死者の世界のことである。古事記では、イザナギが死んだ妻イザナミを追って黄泉の国に入ったとされている。この「黄」は中国の五行思想に由来していて「土」を表しているという。地下の世界のことである。死とは土のものであって、埋葬と切っても切れないものだ。土の色は私たちに還るべき場所を連想させる。

 

黄金の光と聖性

クリムトの黄金様式の始まりは1903年と言われるが、その発端となったのはクリムトがイタリアの旅で観た黄金のモザイク美術だったという。サン・マルコ寺院聖堂内の天井モザイクや、ラヴェンナで観た教会の金色のモザイクの美しさにクリムトは圧倒された。

サン・ヴィターレ聖堂内陣・アプス

サン・ヴィターレ聖堂内陣・アプス 出典: https://ja.wikipedia.org

黄金の光景は殺人的なまでの聖性を帯びることがある。このビザンティン建築最高と言える美しさの只中に晒されたとき、クリムトはほとんど自分の呼吸を忘れるような死の経験をしたのではないだろうか。

 

仏教における釈迦もまた、金色を纏っている。釈迦が入滅=死を迎えるときを表した涅槃図はいくつも描かれているが、どの涅槃図でも横たわっている釈迦の身体は金色に輝いている。

涅槃図

涅槃図 出典: http://www.gyokusenzi.com

仏の世界のイメージは光輝く世界であり、仏教美術では金が多用されている。浄土は金色であり、その表現が寺の内陣であり、仏壇はそのミニチュアとして金装飾がなされている。

 

神仏は皆、光を背負う。そこでは光こそが特別な元素であると考えられている。万物は太陽の下に生まれ、その明るすぎる光に頼って生きざるをえないために、太陽の支配から逃れられない。

光には聖性が宿っている。釈迦の金色身もそうだ。そして、あまりにも聖なるものというのは死を予感させる。神とは、死の瞬間に見るものだ。

 

黄金には二面性があると私は思う。栄華とその没落の両方を顕してしまうという両面。昇っていく太陽が栄えであるとすれば、沈んでいく夕陽はそのまま落日を表している。そしてその狭間に私たちは聖性を観る。神とは、聖なる太陽の頂点のことであり、直視してしまえば身を滅ぼしてしまうほどの光のことを指しているではないか。

 

クリムトに視えていた黄金の光

クリムトは日本の画家・尾形光琳の影響を受けたと言われている。アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像は、1873年のウィーン万国博覧会でクリムトが観たとされる屏風絵と色彩も構図も非常に似通っている。

アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ - グスタフ・クリムト

アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ - グスタフ・クリムト
出典: https://ja.wikipedia.org

紅白梅図屏風 - 尾形光琳

紅白梅図屏風 - 尾形光琳
出典:MOA美術館 http://www.moaart.or.jp

紅白梅屏風の黄金は、宗教的な意味を帯びていない。それは大地の色をしている。紅白梅図といいながら中心に描かれているのは河であり、だが女と男を描いているような生々しさがある。構図からしても、クリムトがこの河に女を観たのは間違いない。

だが、黄金自体はクリムトの絵ではむしろ別物に生まれ変わっている。そこには金屏風や黄金の茶室、金閣寺のような日本美術での華やかさとしての金装飾の印象は無く、どこか妖艶で、危険味を帯びている。イタリアの旅を経た後に描かれたこの肖像画に、クリムトは屏風に観た色とはまた違う色を観ていたのではないか。

 

黄昏へ

そして、この黄金は落日を迎える。

1907年に描かれた「接吻」では当時のオーストリアではタブーとされていた官能的な主題を用いている。

接吻 - グスタフ・クリムト

接吻 - グスタフ・クリムト 出典:Google Cultural Institute

そこでは、男はすでに蝕まれている。抱き合う二人の男女は破滅を予感させる。「接吻」はクリムトにとっての黄昏にあたる作品であると私は感じる。

私たちは普段、太陽をエネルギーと生命の象徴だと思っている。だが、そこに翳りが差すときにはその方向を一転して、万物に終息があることを思い出させる。夕暮れが物悲しいのは、その昼の明るさを見ているからだろう。

エジプトの栄華を表す装飾品や壁画にそのまま没落を垣間見るように、私たちはこの黄金の中に終わりの夜を迎えようとする。

 

聖から俗へ、うつくしいものを描く

1910年以降、クリムトは金の多用を止め、黄とオレンジ・赤・紫などの鮮やかな色彩様式へと移っていく。1913年に描かれた「オイゲニア・プリマフェージの肖像」を観ると、春や夏の花のイメージとその活力を印象づける黄色の印象を受ける。

オイゲニア・プリマフェージの肖像 - グスタフ・クリムト

オイゲニア・プリマフェージの肖像 - グスタフ・クリムト 出典: https://ja.wikipedia.org

アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像もまた、新しい絵へと生まれ変わっている。

アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 Ⅱ - グスタフ・クリムト

アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅱ - グスタフ・クリムト 出典: https://ja.wikipedia.org

それは、聖なるものから俗なるものへ、彼岸から此岸への転換のように思える。聖性それ自体ではなく、その光に映された生命を描くこと。もう一度昇る太陽のことを描くこと。

生を描くということは、そこに忍び込んだ死を顕すことだ。それは同時に、いつか失われるという陰の中で、真正面を描くことだ。

黄昏の後にクリムトが選んだ新しい作風は、生命の明るい側面に光を当てたいということだったのかもしれないと私は思う。

 


短編小説を出版しました。iPhoneなどのスマホで読めます。

天上の花、地上の月 (民明書房)

天上の花、地上の月 (民明書房)