この記事では、私にとって「詩的な歌詞」を歌うアーティストを選んで2020年時点のランキングを作ってみた。今回は女性アーティストに絞っている。
次の2つを満たすものを「詩的な歌」とした。
- 歌詞に強い個性,世界観,言葉の選択の妙がある
- 歌と楽曲がその歌詞の世界をひろげている
また、選ぶ際には以下をルールとした。
- 1990年代以降に活躍したJ-POPアーティスト
- 歌詞を自作している=シンガーソングライター
- 昔のものほど厳しく評価する
「歌詞が素晴らしい曲」と言われたり「深い歌詞」「心に響く歌詞」と言われる音楽を集め、その中でも、詩のようだと思う音楽を選んだ。
心を揺さぶり感動する名曲リストになればと思う。
10. 椎名林檎
椎名林檎はやはり歌詞に特徴があり、詩的な音楽も作るアーティストだ。ときおり歌詞を捻りすぎる嫌いがあるが、彼女はまっすぐに歌っているくらいがちょうど良い。
最近の音楽では、より自己主張が無くなって『長く短い祭』のような音楽も椎名林檎的な世界観を広げている。
天上天下繋ぐ花火哉
万代と刹那の出会ひ
忘るまじ忘るまじ忘るまじ我らの夏を
シングルリリースされている『罪と罰』や『ここでキスして。』ほどマイルドにチューニングされると歌とともに一気に世界が開く。
あたしは絶対あなたの前じゃ
さめざめ泣いたりしないでしょ
これはつまり常に自分が
アナーキーなあなたに似合う為
現代のシド・ヴィシャスに
手錠かけられるのは只あたしだけ
不穏な悲鳴を愛さないで
未来等 見ないで
確信出来る 現在だけ 重ねて
あたしの名前をちゃんと呼んで 身体を触って
必要なのは 是だけ 認めて
9. 川本真琴
川本真琴の詩の才能が強く出ているのは『微熱』や『ピカピカ』だと私は思う。誰もが感じたことがあるだろう夜空を見上げたときの広大で孤独な宇宙と、その下にいる「あたし」と「君」の距離。この世界観を表現できるのは川本真琴ならではだ。
裸で広い宇宙に いつも君と浮かんでる
なにも育てず 傷つく
まるでそれで1コの生き物のようにこぼれ落ちる強い発熱
1000000回目の太陽 昇っても
哀しい 哀しいね とけない微熱
ビロード色のギザギザ前髪
やわらかな光ふってきた
あたしたちいつも つまみ出されてた
同じ月の下
チョコレイトのサラサラ銀紙
唇にあててキスした
あたしたちまるで 二匹みたいだね
緋の月の下
もちろん、『1/2』や『桜』にも彼女の才能は十二分に発揮されている。
見えなくなるほど遠くに
ボールを投げれる強い肩
うらやましくって
おとこの子になりたかった
澄んだ水のようにやわらかく
誰よりも強くなりたい
ちっちゃな頃みたい
へんね涙こぼれてくバイバイのキスするから
最後の一歩の距離 ぐって抱いて
太陽がずっと沈まないように
8. LOVE PSYCHEDELICO
ラブサイケデリコは洋楽とも邦楽ともつかない新しい音楽を作り出した。日本語と英語の組み合わせが異次元に上手い。「夢で会う」「愛」「miss you」は頻出ワードだ。夢で会いがちな彼女だが、どこか懐かしい向こう岸に連れて行ってくれる。
LOVE PSYCHEDELICO - Beautiful World
静寂を胸でこらえてる
Lullaby for you 風にのって
その愛の向こう take you thereBaby, feeling
This beautiful world
LOVE PSYCHEDELICO - Last Smile
夢で会えたって 一人泣いたって
君はchange your way 響かない 届かない
曖昧な手のひらで 踊るtango style 僕ならもう…
全て溶けだしたnoon 絵にならないMonday
oh sing it to me
oh sing it to me your song
悲しみが呼んでる
Liveのダイジェストで自分に合う音楽を探すのもおすすめ。
LOVE PSYCHEDELICO - Live Tour 2017
7. Chara
「愛でも何でもキスでもいいから色々してたいわ」という歌詞の表現力。
Charaの音楽は、歌詞は飛びすぎないのに遠くへ連れていく力がある。『Swallowtail Butterfly』のようなシンプルな歌詞が、彼女の歌で世界を開いてしまう。
なけない女のやさしい気持ちを
あなたがたくさん知るのよ手をつなごう 手を ずっとこうしていたいの
手をつなごう 手を ずっとこうしていたいの愛でも何でもキスでもいいから色々してたいわ
Chara「Swallowtail Butterfly~あいのうた~」
あなたは雲の影に
明日の夢を追いかけてた
私はうわの空で 別れを想った
汚れた世界に 悲しさは響いてない
どこかに通り過ぎてく
ただそれを待つだけ
体は 体で 素直になる
涙が止まらない だけど
6. Aimer(エメ)
最近のアーティストの中でも、Aimerにはその七変化ぶりに期待してしまう。
彼女の歌は詩のようだ。一方で、彼女が書く歌詞は、詩からは遠い。だが、『蝶々結び』のような説明臭くて比喩に引きずられた歌詞を書いていた頃から、一枚も二枚も彼女は脱皮してきた。
Aimerをランキングに入れようと思ったのは彼女が『Black Bird』を書き、歌ったからだ。
Aimer - Black Bird (MUSIC VIDEO 映画『累-かさね-』)
すぐに堕ちていきそうだ
まるで一人のステージ
まっ暗闇で声を枯らすよ I cryきっと空の飛び方なんて
誰も教えてくれなかったよ
まっさかさまに海の底へ I fall愛されるような 誰かになりたかっただけ
今日がメインディッシュで 終わりの日には
甘酸っぱいデザートを食べるの好きだよ 分かってよ 分かってよ
Aimerの書く歌詞が詩的になるためには、アニメソングから離れないといけないのだろうと思う。『Torches』『I beg you』はどちらもタイアップソングであるが、知らなくても聴けばアニメソングだとわかるはずだ。
Listen to me
Sail away again
未開の海に 海路を照らす願い
繋いだ声は 答えのない世界へと 帆を揺らす
You're not alone
ただ 荒波を征け その闇を抜け
憐れみをください
落ちた小鳥に そっと触れるような
悲しみをください
涙汲んで 見下ろして 可哀想だと口に出して
靴の先で転がしても構わないわ
汚れててもいいからと 泥だらけの手を取って
商業的な成功はともかく、Aimerの次の変化を見れるとすれば、ファンタジーから離れたときだろう。
ファンタジーとは、詩をもっとも遠ざけてしまうものであると私は思う。それは詩であったものを見える形にしてしまったものだからだ。そこには、詩の残骸と影しか残っていない。
もしも彼女がファンタジーの痩せこけた想像力から抜け出せれば、それこそ想像を超えた歌を唄ってくれると思う。三歩進んで二歩下がりながら少しずつ可能性を広げていく彼女に期待しないではいられない。
5. あいみょん
あいみょんの歌は「君」という呼称が多い。この言い方には少なからず「男」のニュアンスが入ってくる。それでいて、少し距離を置いてあらたまる感じがある。近づきすぎて傷つくのを避けているような微妙な距離感だ。トモダチにも近い、男女の距離感。だが、近づきたいという気持ちをうかがわせる距離でもある。
麦わらの帽子の君が
揺れたマリーゴールドに似てる
あれは 空がまだ青い夏のこと
懐かしいと笑えたあの日の恋目の奥にずっと写るシルエット
大好きさ
柔らかな肌を寄せあい
少し冷たい空気を2人
かみしめて歩く 今日という日に 何と
名前をつけようかなんて話して
あいみょんの音楽は、男性視点で歌詞が書かれていながら、彼女の歌声に乗ることで、女性から男に「君」と呼んでいるように錯覚して聴こえる。
むしろ男性像は透明で、枠で切り取られたように空白でいる。これほど男性目線であるが、男性のことを歌わないのだ。そこに、各々の「君」を当てはめられる。
とりあえず今日は
部屋の明かり 早めに決してさ
どうでもいい夢を見よう ah愛を伝えたいだとか
臭いことばっか考えて待ってても
だんだんソファに沈んでいくだけ 僕が結局のところ君はさ どうしたいの?
まじで僕に愛される気あんの?
もしも 今僕が
君に触れたなら
きっと止められない最後まで溶かして 燃やして 潤してあげたい
次のステップは言わずもがな分かるでしょう
4. 一青窈(ひととよう)
デビュー曲の一言目で「ええいいああ」と書きつけるセンスは日本語だけで暮らす環境ではちょっと生まれてこなかったかもしれない。一青窈の言葉選びは天才的だ。
ええいいああ 君からもらい泣き
ほろりほろり ふたりぼっち
ええいいああ 僕にももらい泣き
やさしい、のは 誰です。
『かざぐるま』は知らなければぜひ聴いてほしい。演歌を思わせるが、その歌唱力もふくめて寒気がしてしまう。
あれは十四、五のほのか照れ隠し
ふたりで歩こうと決めた
川ではないけどただとおりすぎただけ
君がまわるためどこ吹いた風でした
くるりかざぐるま
どうか来てほしい
水際まで来てほしい君と好きな人が
百年続きますように
3. UA(ウーア)
UAという言葉には、スワヒリ語で「花」と「死」という2つの意味があるらしい。彼女もまた詩の塊のような言葉を吐き出し続けている。
『波動』はAJICO時代のもの。AJICOはベンジーこと浅井健一と結成したバンドで、一年で活動休止したが、素晴らしい音楽をつくっている。
街の孤独をかばって君はいう
胸の落書き 無理に消さないでさぁ踊ろう 凍える肩に口づけを
ラララ 悲しみだけあおいだ空
もしも愛がまだ足りないのなら
私は海を飲み込む
悲しみ深く海より深く
心にトゲを埋めても
ふしだらな幸せは全部あげる
萎えた鳩はびしょぬれ悲しみジョニー
愛を亡くして
心に傷を隠しても
憧れはママの甘い子守唄
2. 宇多田ヒカル
宇多田ヒカルが素晴らしいのは、恋愛の曲を歌っていてもそれがただ単にバラードとしてよりもっと広いものを歌っているように聴こえるところだ。『初恋』はもはや、初恋自体を歌っているというよりも、人生の儚さを歌っているように聴こえる。
それはおそらく、彼女の天性の歌が詩のようだからなのだと思う。
うるさいほどに高鳴る胸が
柄にもなく竦む足が今
静かに頬を伝う涙が
私に知らせる これが初恋と
思い出たちがふいに私を
乱暴に掴んで離さない
愛してます 尚も深く
降り止まぬ 真夏の通り雨
『COLORS』『traveling』はまだ若さもあり、歌詞には陳腐な部分も目立つが、彼女はそれを天性の歌で詩的にしてしまう。
青い空が見えぬなら 青い傘広げて
いいじゃないか キャンバスは君のものカラーも色褪せる蛍光灯の下
白黒のチェスボードの上で君に出会った
1. Cocco
詩のような音楽を生み出すアーティストとしては、Coccoは一人だけ違う次元にいる。
彼女の歌はいつも、身近な人のことを歌っているのに世界のことを歌っているように聴こえる。世界は残酷で、哀しい。それを細く折れそうな身体で一身に引き受けるように歌う強い姿が、私たちの心に傷を残す。
Cocco自身が詩のような存在だからかもしれない。この先、彼女を超える詩を唄えるアーティストは出てこないのではないかと思ってしまう。
白い服で遠くから
行列に並べずに 少し歌ってた
今日見たく雨ならきっと泣けてた帰り道のにおいだけ
優しかった 生きていける
そんな気がしていた
教室で誰かが笑ってた
それは とても晴れた日で
固い誓い交わしたのね
そんなの知ってるわ
あんなに愛し合ったと
何度も確かめ合い
信じて島を出たのねだけど 飛魚のアーチをくぐって
宝島に着いた頃 あなたのお姫様は
誰かと腰を振ってるわ人は強いものよ とても強いものよ
美しいものばっか
差し出してみんな消えた
お日様も 雨粒も汚れたスカート
ひるがえして
胸張って行くよ
悩める胸に あなたが触れて
雨は 終わると想った
だけど誓いは あまりに強く
いつか張り詰めるばかり永遠を願うなら
一度だけ抱きしめて
その手から 離せばいい
選外編
ここからは選外編として、一般的には詩的だと考えてしまいそうだが詩的ではない音楽を載せた。
そもそもランキングで順番をつけたのは、私にとっての「詩とは何か」が現れると思ったからだ。たとえば、JUJUやMisiaはこのランキング内には入っていない。好きな順ではなく、よく聴いている順番でもない、”泣ける音楽" かどうかでもない。
そこで選外編では、ランキングには入らないが詩的な音楽として光るものを感じているアーティストを載せた。必然的に、新しく登場してきたアーティストたちになる。ランキング内の人たちと比べるとやはりまだまだ個性が弱い。だけど、この先に期待をして応援したいと思えるような音楽ばかりだ。
吉澤嘉代子
歌詞が上手い。だがそれは散文表現としてだ。
「残ってる」というのは、朝帰りと肉体感覚を共感させる表現として、とても優れている。だが一方で、それは表現であり創造ではなく、過去の経験の共感でしかなく、新しい世界の創造ではない。詩的かどうかという点で、選外とした。
一夜にして
街は季節を超えたらしい
まだ あなたが残ってる
からだの奥に残ってる
ここもここもどこかしこも
彼女の曲は、どれもが散文的すぎるのかもしれない。同じ作家の定番シリーズ小説を読んでいる感じがある。出来上がった作品がぜんぶ似ていて広さが無い。アルバム『女優姉妹』を聞いていても、邦画的で、暗くて、閉じている。
声自体が睡眠作用が強くてまどろみ感がある点は、松任谷由実と似ているのかもしれない。彼女のように、声に居座らないで幅広い楽曲に乗せるようになると、世界が大きく広がるのかもしれない。
日食なつこ
日食なつこの最大の武器はピアノが歌うことだ。そして最大の弱点は、そのピアノを本人の歌が超えられないことだ。弾き語りの域を超えて、歌がピアノを超えるほどの色気を帯びれば、すごいアーティストになるかもしれない。
初めての自由で僕ら浮かれていただけなんです
知っていたら望まなかった果てなき自由は致死量の猛毒だった
それでも欲しかったんだ
そう叫んで飲み干したのさ
歌詞は、音と感触が残る言葉を選んでいるだけで詩的と呼ぶには遠いが、『white frost』はそこから先を期待させるものがある。
君と青い空と白い雪は
どうかそのまんまでいてくれ
押しのけ合うこの町で灰になるのは
僕だけでいいんだから
青葉市子
彼女のような音楽は、人によっては「詩的な感じ」と表現するかもしれない。だが、それは「アコースティックギターの弾き語りって詩的だよね」という以上のものではない。つまりアルペジオという弾き方が雰囲気を作っているだけだ。
呼ばれた人は たやすく登れてしまう
月の丘 あの子はまだ
わたしたち 幾つも約束をしたまま
もしかしたら、ジブリアニメやその音楽の影響を受けているのかもしれないが、宮崎駿は人間が恐れて寄りつかない自然を描いてきたのであり、人間に都合のいいところだけを切り取られた人工的なやさしい森には詩は住まない。
雨雲の灯りで瞳をつないで
ようやく辿り着いた ここは大きな日本家屋
長いトンネルを抜けるまで 怖かったよね
ほっとして 座り込んだ
『いきのこり●ぼくら』にしても、不思議の国のアリスからメルヘンの雰囲気だけ抜き出し、そこにあった狂気をすっかり無かったことにした、そんな印象を受けた。
その森から出てきたときに、はじめて詩に出会えるのかもしれない。音楽としては心地よい居場所だが、ランキングとしては選外とした。
中村佳穂
中村佳穂はなにかすごい音楽を作るんじゃないかという期待感がある。センスというよりも反骨心で音楽を作っている感じがなぜかする。その分、遠回りしている感じも。ずっとシンカーを投げている感じがしてしまう。
いき延びるたび いき延びるたび
秘密をあちこち街に隠したいの
いき延びるたび いき延びるたび
掘りかえしては味を確かめたいの
歌詞はまだ心に響かないけど、書けそうという期待感がある。だが、まだ期待感だ。
竹内アンナ
とても良い音楽だが、歌詞が超絶劇的にダサいため選外とした。LOVE PSYCHEDELICOのような昇華がいつか起こることを期待している。
街を彩る nameless star
よそ見はしない it's who we are
人と違うことしたい? そもそも同じじゃない
うつむくわたし show window
慣れないヒールどうなんの
似合う似合わないなんて自分次第なんじゃない?
DAOKO
唯一「おや?」と思った『打上花火』が米津玄師の作曲作詞という。好きなんだけど、それ以外があんまりパッと光らない。
パッと光って咲いた 花火を見てた
きっとまだ終わらない夏が
曖昧な心を 解かして繋いだ
この夜が続いて欲しかった
以上が選外アーティストだ。
吉澤嘉代子や青葉市子を聴いていて思うのは、小品志向というか、作品群をひとつの世界に閉じようとする傾向が強いように思う。歌と楽曲の幅が狭い分、世界観はあるが、イメージが固定化してしまう。彼女たちのもっと違う面を引き出されたが作品が聴きたいと思うのは私だけではないと思う。
ここまででリストに上がっていない音楽は、詩的ではないと判断したか、私が知らないか、ルールで弾かれたかということになる。
世の中で「いい歌詞」「文学的」と言われている音楽を端からリストアップして絞り込む中で、その多くは、詩的ではないものが大半だったが、珠玉の詩的な音楽を抽出できたのではないかと思う。
補足:「詩的」かどうかの水準
詩的とは何かのわかりやすい基準になると思ったのは、吉田美和(Dreams Come True)だ。
彼女は、情景描写がとても上手い。基本的に恋愛のことを歌っているのだが、そのシーンの設定を間接的にしてすべてを歌わない。それでいて「愛してる」を重すぎず軽すぎず使う。ストレートとカーブの両方をうまく織り交ぜる。彼女の歌がそれを可能にしている。
たとえば『サンキュ.』は失恋を歌っているが、「彼」と別れた直後に「あなた」が会ってくれたという歌だ。「彼」との別れのことをなかなか言い出せない様子や、それをベタベタと言葉で慰めるのではなく、ただ一緒にいてくれるという絶妙な情景描写がされる。ちゃんと”言い残し”してあるのだ。「あなた」は友達なのだが、私には男友達に聴こえた。もしかしたら「あなた」は実は恋愛感情を持っているのかもしれない。そこまで想像させる言い残しがある。
何も聞かずに
つきあってくれてサンキュ
季節外れの花火
水はったバケツ持ってえらかったね って
あなたが言ってくれるから
ポロポロ弱い言葉
こぼれてきそうになる
好きだったのにな
言っちゃった後 泣けてきた
また涙目のあなたを見て
笑って泣いた
同じような一日が今日も始まる
となりの人が空見上げて舌打ちする
巨大な交差点に傘が咲いていく雨だって晴れだって
願いは届かない
あなたのいない朝は来るから
今は 信号が変われば流される
思いよ 逝きなさい
この吉田美和の音楽が、詩的かどうかで並べていくとランキング10から外れる。
吉田美和の音楽は「共感」を軸にしている。特別なジャンプをしていないように見せて多くの人に共感を生む。それが彼女のすごいところなのだが、このランキングに入っている人たちはその「共感」を一足飛びに超えてしまう。備わった感性とも言える。
吉田美和ですらランキングに入らないのだから、西野カナやaiko、Misia、平原綾香、JUJU、絢香はもちろん入らない。そういうランキングではないというだけだ。ただ単に、カテゴリが違うということになる。JUDY AND MARYのYUKIは入りそうだが、川本真琴と比べたときに少し物足りなかった。
単に作詞が上手いということを超えて、その歌その音楽自体が一つの詩のように、私たちを感動させる。そういう音楽を集めたかったのだ。
ランキングを作ってみて
私がこのランキングをいま作ろうと思った理由は、最近、詩的な歌詞をもつ音楽が次々と生まれるような傾向というか、うねりのようなものを微かに感じているからだ。
2000年前後のJ-POPはよく「あの頃は凄かった」と言われる。私は今回、ランキング内と外との個性の差を見て、それを否定できなかった。若手アーティストをランキング内に押し込もうとして、だいぶ肩入れした。だが、やはり詩的な歌詞が書かれなくなった空白のような期間がたしかにあり、掘っても掘っても見つからなくて苦労した。
それは音楽の流行り廃りの話だ。J-POPもまた一つのジャンルであり、詩的な歌詞というのもジャンルとさえ言えない当時のブームの一つだ。
そもそも私は小説家で言葉を扱っているが、音楽を聴くときに歌詞はあまり気にならない。歌詞がよかろうが悪かろうが有ろうが無かろうが、良い音楽は星の数ほどにあり、だからこそ国境を超えて私たちは音楽に親しむことができる。
それでも、言葉には、私たちの心を直に打つ力がある。歌と歌詞は切っても切り離せない。この楽曲この歌であったからこそという音楽があるのと同じように、この言葉であったからこそという音楽がある。
私はそのことを詩のような歌詞の音楽を聴くたびに思い出すし、そういう音楽を知ると誰かに教えたくなる。
この記事を読んで、一つでも詩のような歌詞とその音楽に出会えたと思ってもらえると嬉しい。